『行き渋り』によくある傾向。順調そうに見えて実は……?【行き渋り・不登校】
夏休み明けに急増すると言われている不登校。楽しそうに集団生活を送っていた様子の子も、環境が変わった途端に“行き渋り”になる、というケースもあるようです。今回は、幼稚園までは順調と思っていた娘が、入学後2週間で学校に行けなくなったというママの体験談です。
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我が家の不登校体験談
M.Sさん・デザイナー・40代/子ども小4
“小学校って思っていたところと違う…”
入学後2週間、娘から「学校に行きたくない!」
─娘さんが学校に行けなくなったのはいつごろからですか?
入学して2週間くらいのころ、軽い風邪を引いて休んでから、がたがたペースを崩しました。今思えばそこまで必死に頑張っていたのだと思います。行きはじめてすぐに「小学校って思っていたところと違う」と気付いたようでした。娘はマイペースで集団行動が苦手なタイプ。幼稚園はたくさん見学に行っていちばん娘に合いそうな、のびのび過ごせる園を選びました。公立小学校は原則学区で決まっているし、特色のある学校の中から選べるわけではありません。幼稚園みたいな選択肢があればもしかしたら通えていたかもしれないな、とは思います。
幼稚園では集団生活にもすっかり慣れ、卒園の頃には「お母さんと過ごすよりもお友だちと一緒にいたい」と言うようになっていました。そのしっかりした様子から、もしかしたらもう親離れしちゃった? 子育て終了?なんて思うほど。私が仕事復帰したのもそのころです。まずは週4の時短勤務から始め、フルタイムを目指そうと思っていました。娘の学校には同じ幼稚園から一緒の友だちもいるしすぐに学校に慣れるだろう、と思っていたのですが、友だちが一緒だから大丈夫とかそういうことではなかったんですよね。
娘は幼稚園とは全く違う環境にとまどっていたようでした。朝の教室を見に行くと想像以上に混沌としています。床に転がっている子や泣いている子もいて朝の準備が落ち着くまでワイワイガヤガヤ。どこの学校でも入学直後はそんなものだとは思うのですが、騒がしい環境が苦手な娘にはつらい場所でした。水を飲む時間まできっちり決められていて勝手に立ち歩いたら怒られる。それに全く問題なく適応できる子にとっては何でもないことが娘にとっては難しかったようです。娘はやりたくないことに対してはなかなか体が動きません。
幼稚園のころ、テーブルに大根が置かれ「さあみんなで大根の絵を描きましょう」と言われたとき、まわりの子たちはどんどん手を動かしていくのに娘だけ最後まで描こうとしませんでした。「なんで今、大根の絵を描かなくちゃいけないの?」と納得がいかなかったみたいです。ただ、学校に入ったらそういうことの連続ですよね。気分が乗らなくてもみんなと一緒に行動しないといけないことがたくさんある。そんなとき疑問を持たずに行動に移すのが苦手なようでした。そうして娘の行き渋りが始まりました。
学校に行ってほしい親と行きたくない娘
『行き渋り』によくある傾向とは?
─毎朝、どのように過ごしていたのでしょうか。
身支度をして朝ごはんを食べひととおり準備はできるけれど、玄関のところで石のように固まってしまう日が続きました。何を話しかけても首を振るばかりで……。無理して学校に連れていこうとしたら腕をかまれてひっかかれ、ものすごく抵抗をされました。自分の頭をかきむしって髪の毛をぶちぶちっと抜いてしまうこともありました。いろいろ試してはみたんです。友だちに迎えに来てもらうとか、自転車の後ろに乗せたりとか、グリコのじゃんけんをしながら、じわじわと30分くらいかけて学校に向かうとか。叱ったりなだめたり持ち上げたり、どうにか学校に行ってほしいといろいろやったけど全然だめでした。
とはいえ最初の頃は、私も仕事があるので抵抗されても保健室まで連れていっていました。そうすると意外と帰りはルンルンで帰ってきたりするんですよ。「なんだ、ムリヤリでも連れていけば通えるじゃない」と思ってしまうんですが、これってけっこう行き渋りあるあるらしくて。その様子を見て親は行かせても大丈夫、と思ってしまい事態が深刻になるケースもあるようです。じわじわと学校に行けない日が増えていきました。いくらこちらが誘っても、頭をかきむしって抜毛までして抵抗する娘の様子を見ていると、「このまま行かせ続けたら娘の髪の毛がなくなっちゃう!」と思い、どうしても行けない日は無理をさせずに休ませるようにしました。
完全な不登校になるのは早いかなと思いつつも
学校の中で『居場所』がなくなり…
─日々の仕事もあるなかでどのように対応されたのでしょうか。
フリーランスの夫は当初、「なるべく学校に行ったほうがいい」という考え方でした。夫が在宅で仕事ができるため私は仕事に行けましたが、学校に行かせたい夫と行きたくない娘、意見の違う2人を置いていくのもつらいんですよ。7月頃には通っていた学童にも行けなくってしまいました。完全な不登校になるのは早いかなと思いつつも、フリースクールやホームスクーリングについての資料を取り寄せたり、適応指導教室について調べ始めたのはこのころです。適応指導教室という場所があることも今まで知らなかったし、WEBやSNSの情報を頼りに自分で調べました。問い合わせをすると「まだ完全に不登校ではないんですよね? 1年生の1学期というタイミングでは……」と教室の先生にやんわり断られましたが、医師の診断書が出るなど、場合によっては1年生の早い段階で適応指導教室に通い始めるお子さんもいるようです。
─その後の生活はいかがでしたか?
教室にもほとんど入れなくなっていたので、スクールカウンセラーや相談員が話を聞いてくれる学校の相談室も利用しましたが、担任やカウンセラーの先生が娘を教室へ戻そうと支援すればするほど逆効果となってしまいました。娘は「相談室に行くと教室に戻される」というプレッシャーから、相談室にも行けなくなってしまいました。そうなると学校の中で居場所がないんですよ。それからは私が学校に付き添ってなんとか通える日があるという状況が続きました。
夫婦交代制で学校に“付き添う”日々…
家族で抱え込まずに早めにSOSを!
─保護者が学校についていくというケースは以前もお聞きしましたが、けっこう大変ですよね。
本格的な付き添いをはじめたのは1年生の夏休み明けです。私はもう「本人がこんなに苦しんでいるのだから学校にこだわらなくていいじゃないか」という気持ちになっていましたが、夫は「まだ1年生なんだし、嫌でも通っていればそのうち慣れてくるんじゃないか」という考えでなかなか折り合いがつきませんでした。話し合いを重ね、学校の1年間の流れを知れば2年生からは行けるかもしれない、まずは見学でもいいから娘に学校を知ってもらうことが大切だと考えました。そうなると、娘が学校にいられる方法は付き添い登校しかありませんでした。私の職場は融通が利いて、平日に付き添いのために休むならば仕事を土日のシフトに変えてもらえるのでありがたかったです。夫は幼稚園の送迎さえほかのママたちや先生と話すのが苦手で消極的だったんですが「付き添いすれば登校できるなら娘と一緒に頑張るよ」と言って率先してやってくれるようになりました。
それから1年以上、交代制で付き添いを続け、可能な日は朝から下校時間まで学校で一緒に過ごしました。そうすれば娘は教室に入ることができ、授業によっては離れていても大丈夫でした。ただ、付き添いの親のための場所が用意されているわけではありません。真冬の廊下で凍えることもありました。もちろん給食も親の分があるわけではないので横目で見ているだけです(笑)。大変でした。でも、実際に付き添ってみて普段の学校の様子を見ることができたことはよかったと思います。夫婦ともにクラス全員の顔と名前、性格までわかるようになり、家での共通の話題も増えました。
それまでは付き添いするという保護者の話を聞いて「ちょっとやりすぎじゃない?」と思っていたんです。でも娘の様子を見て、困ったときに助けを求めることができる人がいるから、何とか安心して教室にいられるんだろうなということがわかりました。教室には担任以外に支援の先生もついているのですが、授業中に寝ちゃう子、騒ぐ子、教室の外に飛び出してしまう子もいてそちらのサポートに手いっぱい。頼れる状況ではありませんでした。 付き添いをする保護者にはそれなりの事情があり、周囲がそれを知らずにやりすぎだと批判することはできないな、というのが実際に経験した私の実感です。ほかにきょうだいがいたら、ここまでできなかったかもしれません。ただ、こちらが頑張れば頑張るほど対応を任されてしまい、支援から遠のいたような側面もありました。家族で抱え込まずに早めにSOSを出していくことも大事だと思います。結局、「学校の1年間の流れを知ってもらう」という目標は達成できましたが、2年生になっても一人での登校には結びつきませんでした。
“行き渋り”や“不登校”に正解はない!
わが子に合ったスタイルを見極めることが大切
──娘さんの行き渋りがはじまってから、利用してみてよかった支援機関やサービスはありますか。
まず、自治体の「教育相談」は役に立ちました。区のホームページや学校からのお知らせでもともとその存在は知っていたものの今まで利用したことがなかったんです。友だちのネットワークが役に立ちました。娘の通っていた幼稚園は障害やさまざまな特性を持った子どもを多く受け入れる特色のある園でした。そういったお子さんを育てるお母さんたちは、育児や支援の情報にとても詳しいんです。その中で「教育相談はいいよ。子どもがその子らしくいられる場をつくってくれるよ」と聞きました。予約すると、親と子の両方に担当の職員がついて定期的に話を聞いてくれます。私は「学校復帰だけを目標にせず、今の娘にとって一番ベストな方法をとりたい」というスタンスで相談をしました。娘にも担当の心理士さんがつき、別室で絵を描いたりボードゲームなどをして過ごせるようになりました。学校の相談室にも行けなくなっていた娘に通える場所ができたのは大きな進歩でした。
ここで学校以外の選択肢についていろいろな情報を教えてもらいました。最終的に娘の居場所として選んだのは、区の適応指導教室です。そのころ、娘は不登校支援活動をしている民間のコミニュティスペースで、同じく不登校の他校の女の子と仲良くなっていました。適応指導教室にも〇〇ちゃんが行くなら私も、とはじめのうちは連れ立って一緒に行っていました。この出会いがなかったら、今もどこにも通えていなかったかもしれません。学校という枠から離れて子どもといろいろな場所に行ってみるのも重要だと思っています。行き渋りや不登校にこれが正解というものはありません。試行錯誤するなかでわが子のスタイルを見極めていく時間がどうしても必要です。一つの考え方に偏らず、いろんな人と関わったり情報を集めたりするのが大事だと考えています。
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取材・文/髙田翔子
*掲載中の情報は、過去記事を再編集したものです。