母親同士が比べ合う「マムシェイミング」しちゃうの、なんで?
※このコラムはVERY2025年8月号(2025年7月7日発売)に掲載されたものです。
こちらの記事も読まれています
コロッケは買って帰るもの、よくそうテレビで話しています。家事も正直あまり得意ではないけれど、それでいいと割り切っています。理想的な母親になりたいわけではないし、ならなきゃとも思っていません。一方で、「子どもがかわいそう」という言葉は、本当にいろいろな場面で聞こえてきて、私でさえ心に刺さったり、自分も誰かにうっかりそう心の中で思ってしまうことも……。「子どもがかわいそう」という言葉って、受け手の状況によっては「武器」になってしまうこともあると思いませんか?自分のストレスやモヤモヤを、他のお母さんにぶつけてしまっているだけなんじゃないかって。ママなのに遊びすぎ、働きすぎ、お弁当が冷凍ばかり……。ママタレが叩かれるのも、だいたいはその構図のような気がします。ただ、「子どもがかわいそう」という言葉の裏には、実はその言葉を発した人自身の傷や不安が隠れていることもあるのかもしれないなぁとも思うんです。そんなふうに、「子どもがかわいそう」と母親に恥や罪悪感を抱かせる攻撃のことを、英語圏では「マムシェイミング(mom shaming)」と呼んでいて、お母さんを追い詰めることは「もうやめよう」という流れが起きています。
子育ては、それぞれの家庭にとっての最適解があっていいはず。お尻を叩くようにして勉強させる人がいてもいいし、勉強はいいから睡眠が第一!っていう人がいてもいい。価値観は違っていても、「子どもを大事に思っている」という点は一緒だと、私は信じています。「子どもがいるのにそんな頻繁に夜に飲みに行くなんて」「睡眠時間を切り詰めて勉強させるなんて」とかそういう言葉を、私も口に出してしまいそうになることがあります。でも、何気ない言葉をうっかりこぼしたことで、相手が本当に苦手な人になってしまうこともありますよね。言葉には、思っている以上に力があるから。心で思ったとしても言わない、それって結構大事だなと思います。
女性同士が足を引っ張り合う構図の演出はマスコミでも少なくなってきていますが、ママ同士が足を引っ張り合う構図のマムシェイミングもなくなるといいですよね。自分と違うタイプのお母さんをテレビで見て自分を責める必要も張り合う必要もないし、誰かが30万円のバッグを持って公園に行っていたとしても笑ったり揶揄したりすることなく、「気分が上がるならいいよね」と言い合えたらいいだけ。女性が張り合ったり分断することで守られているのは、めぐり巡って家父長制の助長なんだと思います。私たち、マムシェイミングしてる場合じゃない(笑)!
かくいう私もかつては、お酒の席で下ネタの会話、恋愛話にもノリよく乗れるタイプでした。そういうふうに社会に適応してきた自負もありました。でも今は、それって男社会のルールに従っていただけだったな~と思うんですよね。そういう場に馴染めない人が損をするような仕組みは、やっぱりおかしいなって。
VERY世代、特にミレニアル世代は、「サイクルブレーカー」と呼ばれたりしています。親や社会から刷り込まれてきた「母親像」や「女性像」を終わらせたいと願う世代。「女の子なんだから」「母親なんだから」と言われてきた価値観を、もう引き継がせたくない。そう思っている人が、私のまわりにもたくさんいます。これを読んでくださっているあなたもきっと。 私は、自分の娘たちに「自分らしく生きていい」と伝えたい。そのためには、私自身がまず誰かのルールじゃなく、自分のルールで生きている姿を見せたいと思っています。私たちには、サイクルを止める力があると思う。だからこそ、お母さん同士で比べ合うのではなく、支え合っていきたいですよね。
◉SHELLY|シェリー
1984年生まれ、神奈川県出身。14歳でモデルとしてデビュー以後、タレント、MCとして幅広く活躍。9歳と7歳と2歳の娘の母。
オーストラリアに行く前に!と急いで二女、三女の七五三を撮影。三女はまだ2歳半ということもあって着物もヘアメイクも全部嫌がり、最終的に羽織るだけの雰囲気写真に(笑)。でも無事撮れてよかったです。
あわせて読みたい
▶︎桐谷美玲さん「実は焼肉もカラオケもひとりで行けちゃいます!」
▶︎タワマン作家・外山薫さん「パパを主人公」にしたら令和の母親像が見えてきた
▶︎滝沢眞規子さん「ママとして頑張った時間が今のキャリアにつながっている」
撮影:須藤敬一 取材・文:有馬美穂 編集:中台麻理恵
*VERY2025年8月号「SHELLYのこれってママギャップ?」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。