『サラダ記念日』から38年、俵万智さん「70代になっても恋愛の歌を詠みたい」

280万部のベストセラーとなった第一歌集『サラダ記念日』から38年。20代、30代は恋愛の歌を、40代で出産してからは子どもの歌を詠んできた俵万智さん。「70代になっても恋愛の歌を詠みたい」という俵さんに大学生になったかけがえのない長男との日々や恋愛についてお話を伺いました。

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年を重ねてからの恋愛は不純物が沈殿した上澄みのようなもの。70代になっても恋愛の歌を詠みたい

お話を伺ったのは……俵 万智さん(63歳)

「言葉を集めたり観察するのが好きで、ホストやアイドルたちとの歌会も楽しんでいます。業界用語やオタク用語がめっちゃ面白い。短歌は言葉が鍛えられますし、目には見えない心に見えたものを残せます。短歌、歌会、ぜひおすすめします」

《Profile》
1962年大阪府出身。早稲田大学第一文学部卒。‘87年第一歌集『サラダ記念日』が大ベストセラーに。’88年現代歌人協会賞、2021年迢空賞受賞。『考える短歌』『愛する源氏物語』『未来のサイズ』など歌集・著書多数。

40歳で高齢出産。 震災後に石垣島に移住

年齢より若く見えるというよりも、私は気持ちが若い。なぜなら、40歳の高齢出産だったから。若いママ友は子育てに時間を取られ、あれもこれもできないというストレスを感じている方が多い気がしました。でも私の場合、20代、30代では海外にも行き、おいしいものも食べ、これからは子育てを楽しみたい気持ちが強く、子どものせいで何かができないストレスは皆無。結果的に本当に楽しく子育てをしていました。さすがに体力的にはきつかったですけれども。

息子が7歳のときに石垣島に移住しました。当時は仙台に住んでいましたが、その年の3月に東日本大震災が起き、学校が避難所になって自動的に春休みに。余震が続き、原発も不安で先が見えない状況でした。息子もショックから、指しゃぶりをしたり、赤ちゃん番組しか見ないなど一時的に赤ちゃん返りになって、とりあえずここを離れようと思いました。石垣島に移住した友人で歌人の松村由利子さんの自宅の2階、海の見える部屋に一時的に居候させてもらうと、みるみる息子が元気になったのです。ここでの生活が息子に合っていると確信し、移住を決意して家を借りました。小学校は全児童数が十数人、年齢関係なく自然の中で子ども同士が遊び、地域の人みんなで子どもを育てる環境が素晴らしく、都会での子育てにはないことだと思いました。そもそも私自身は都会が好きで、アウトドアは好きではなかったので、今でも島にいたことが信じられないくらいですが、当時はシュノーケリングをしたり、子どもと一緒にカヌーを漕いだり……。子どものためなら馬鹿力が出るのでしょうか。息子もエンドレスで滝壺に飛び込んだりして生き生きしていました。勉強も大切だけど、子ども時代にしか味わえない時間はかけがえのないもので、そのほうが大事だと思いました。勉強はいつでも取り返せますからね。

仕事はメールでやり取りをし、出張は諦めていましたが、ママ友が「出稼ぎに行かなくてどうする。ひとりくらい預かる」と言ってくれます。お言葉に甘えたものの、行き先で心配になって電話すると「さっきまで遊んでいたけど、別の家に泊まりに行った」と。そんな感じなんです。うちは母子家庭ですから、家庭では足りないものを地域で補ってもらえることを肌で感じ、本当にありがたかったです。子育てに関しては、「人に迷惑をかけない」が方針でしたが、私自身が人に迷惑をかけて子育てをしているので、迷惑をかけずに生きるのは絶対無理。途中から、この子なら迷惑をかけられても仕方ないと思われる人間に育てようと、方針変更しました。それは、信頼関係を築く力ってことなんです。豊かな人間関係と自然の中で目一杯遊んだ経験から、私が教えなくても多くを学び、間違いなく息子の心が育ち、発する言葉も変わったと思います。2025年4月に上梓した『生きる言葉』を書こうと思ったとき、子育てが1つの軸になると思いました。

息子は自らの意思で宮崎県にある全寮制の中高一貫校で学び、東京の大学に進学。文学部で国語学を専攻して言葉について学んでいます。今、後期課程ですが、めちゃ楽しそうに勉強しています。学校のプリントを持って帰ってくると本当に面白くて、話を聞くのが今の楽しみ。羨ましくて、私がその授業を受けたいくらいです。

恋愛で嫉妬しない性格。それで何度もしくじりました

結婚はタイミングが合えばしていたかもしれないですが、絶対にしなきゃいけないとは思ってなかったんですね。恋愛はしてきましたし、人を好きになることはとても楽しい。ひとりの人をたっぷり味わうって、すごく素敵なことなので。子育てとはまた別の馬鹿力が出ますよね。睡眠不足が苦手な私も恋愛中は寝不足でも大丈夫でしたから(笑)。

唯一後悔しているのは、私はあまり嫉妬しないところ。誰かと同じ人を好きになるってことは、その人と好みは一緒なわけじゃないですか。だよねーってなって共感できる。だから彼がその人と会ってもそんなに腹が立たないんです。それでしくじったことは何回かあって、嫉妬深いほうが愛が強いと思われがちなのだと学びました。私と同じタイプだと思っていた小説家の友達が結婚したとき、「なぜ結婚したの?」と聞くと「私専用の男の人が欲しかった」と言ったんです。おお、なるほどとそのときは思ったけれど、私にはそれはないかな。人を所有するなんてできないから。以前インタビューで話しましたが、つまらない相手を独占するくらいなら、むしろ素晴らしい人をシェアするほうが断然いいと思っています。

20代、30代で結婚して50年間誰とも恋愛しないとか絶対無理。こうして話しながら、恋愛が好きだから結婚しなかったのかな、とふと思いました。

今、恋愛はしてるっちゃしてるのかな。年を重ねてからの恋愛は、どこか不純物が沈殿する感じがあります。若い頃は経済、性愛、見た目などがごちゃ混ぜになったうえで恋愛してるわけですよね。でも、私の今の年齢になると、そのごちゃ混ぜが全部沈殿して、上澄みみたいな純粋な恋愛ができる気がします。

<「どうだった?私のいない人生は」聞けず飲み干すミントなんちゃら>

数年前、30年ぶりに元彼と再会したときに詠んだ歌です。みんな若いときは恋の歌を詠むけれど、50代、60代になると作らなくなります。でも幸い私は結婚していないから誰にも迷惑をかけない。70代になっても恋の歌を作っていたいです。

究極のポジティブです。だいたいいつも楽しい

まだ宮崎に住んでいた50代、かなり初期の食道がんが内視鏡の検査中に偶然見つかって、ことなきを得ました。原因の1つにお酒の飲みすぎがあると聞き、それまで依存症だと思うほど飲んでいたのですが、それをきっかけに意外にあっさりやめました。食道がんにはなったけれど、初期で見つかり、お酒もやめられてラッキーと思っています。

元々の性質ですが、私は「究極のポジティブだ」と究極にネガティブな母によく言われました。悪いことが起こっても人生に無駄な経験はないし、嫌なことを言われても、世の中にこんなに嫌なことを言う人がいるんだと面白い気持ちになる。うまくいかないことがあっても、その後、絶対に役立つんじゃないかと思います。マイナスのことからも学ぶことはあるんです。友人でも恋人でも嫌なところが見え始めたら、自分に見せるってことは気を許してくれていると逆に嬉しい。だから人生を振り返って、苦しかったことは思いつかないですね。だいたいいつも楽しい。特に還暦を過ぎてからはつまらないことに時間を割かず、楽しいことに浸って気持ちよく過ごすほうがいい。

私が美しいと思うのは、人を励ましたり、思いやったり、豊かな言葉を使う人。そもそも人は、人とつながりたくて言葉を発明したと思うんです。でも今、言葉が人と人を分断する方向に使われているのは残念なこと。言葉は自分の一部。一度発したら取り戻せないからこそ、丁寧に言葉を紡いでいきたいですよね。

俵さんが40代に伝えたいこと

「初めて」は意識するけれど「最後」はなかなか意識しないもの。「最後」だと意識すれば、丁寧に接したり、大切に過ごしたりすることができる。子育てにおいて詠んだ歌ですが、介護など、あらゆることにおいて通じることだなと思います。

本記事は、美ST編集部が取材・編集しました。「美ST」は16年以上にわたり、40代&50代女性の美容とライフスタイルを追求してきた月刊美容誌です。
『美ST』2026年2月号掲載</span

撮影/枦木 功(nomadica) ヘア・メーク/内藤茉邑 取材/安田真里 編集/和田紀子

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