【秋吉久美子さん】半生をふり返り、今なりたいのは「可愛いおばあちゃんじゃなくて…」

秋吉久美子

2016年10月号以来、10年ぶりの登場となる秋吉久美子さん。古希を迎えたとは思えない若々しさと柔らかな雰囲気の秘密とは?「この先、どんなふうに年を重ねていきたいですか?」という質問に「卵で産みたい」発言に勝るとも劣らない名言も飛び出しました。

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秋吉久美子
お話を伺ったのは……
秋吉久美子さん

Profile

1954年静岡県生まれ、福島県育ち。’72年に女優デビュー後、映画やドラマで活躍。代表作に映画『異人たちとの夏』『透光の樹』など多数。映画『深い河』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞など多数受賞。53歳で早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科入学。2009年に総代として修了。

中学生までは優等生で一目置かれていました。18歳のとき、受験逃れでオーディションを受け、映画『旅の重さ』に出演しましたが、学校にバレて退学になると困るので、共演の三國連太郎さんのマネージャーの苗字を借りて「秋吉久美子」を名乗り、そのまま芸名に。当時は学生運動も終わり、私たちはシラケ世代と呼ばれていました。誰からも、何も押し付けられたくない。そのまんま芸能人になり、インタビューでもその感覚で話すから、よく生意気と言われましたね。

女優はまな板の上にのるのが仕事です。受容する強さが必要です。ハワイで撮影のときも、無駄な日焼けはNGなので、スタッフがビーチを歩く姿をホテルの部屋からレースのカーテン越しに眺め、食事はルームサービス、外には一切出られなかったですね。

40代で留学、50代で大学院へ

当時のマネージャーが厳しくて、ヘアスタイルや服装も自由にできず、その呪縛から逃れたくて、40歳のときにサンフランシスコのアートスクールカレッジに留学しました。髪もショートにして、スニーカーも履くようになりマニッシュに。気持ちもすっかり解放されて、自分を取り戻しました。でも、映画『深い河』のオファーがあり、留学を切り上げてインドへ。2カ月間の撮影でインドから受けた影響は大きく、1年半後に1人でインドを再訪し、2カ月滞在しました。

40代後半には沖縄へ移住。58号線で青い海を眺めながら、横を走るジープを追い抜いたり。すごく自由でした。53歳で早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科に入学。大学より女優の道を選んだことには、両親に対する負い目がありました。ふたりとも亡くなった後だったので、供養の意味もありましたね。

乗り越えられない母の死。背負わなくてはいけない十字架

20年前、今の私の年齢、71歳で母が亡くなりました。大病が発覚してから6カ月半でしたが、今でも本人に告知しなかったことは大失敗だったと思っています。母も母で、私にだけ「重い病気なの?」と聞き続け、担当のドクターにも他の家族にも聞かない。私なら最後まで噓をつき通してくれるだろうと薄々思っていたのだと思います。でも、一度だけ「重い病気だけど、助かる可能性もある。誰にでも死は訪れるのだから、一緒に考えてみない?」と言ったら、母は泣き出しちゃって。私も弱気になり、結局最後まで告げることはできなかった。

でも、人間に対する敬意があるのなら、言うべきだった。時が経つにつれてその気持ちはどんどん重くなっていきました。結局、20年経った今もまだ乗り越えられていません。でも、これは私が背負わなくてはいけない十字架。告知しなかったのは仕方なかったと自分を赦すほうにはいきたくない。そういう性格なんです。逃れたくない。それを背負って、考えながらずっと生きていこうと思っています。

70代になって愕然。初めて人生の節目を実感しました

昨年、音楽劇『三文オペラ 歌舞伎町の絞首台』に出演しました。70歳にして初のオペラだったので、びっくりすることだらけ。クルト・ヴァイルの音楽が全部不協和音で、気が狂いそうになりながらも、引き受けた以上は精一杯やりました。もう一回やれと言われたら、もちろんやります。もっとできたことがあると思うから。

女優は受け身の仕事です。これから先は、強いて言えば意地悪ばあさんの役でも(笑)。プライベートでは、歌舞伎における「軽かろみ」というか、味わい深いおかしみっていうの? ちょっと〝面白いおじさん〞みたいなおばあさんになりたい。可愛いおばあちゃんじゃなくてね。だから今、ダジャレの上手いおじさんの弟子になっていて、最近ダジャレがうまくなってきました。

20代から60代までは、リバウンドしながら螺旋状に上っていく感覚でしたが、70代になったとき、あとは80代、90代しかない、螺旋階段の先がないと愕然とし、人生の節目がやってきたと実感。あまりにびっくりして髪を伸ばし始めましたが、意外にケアがラクで、クルクルまとめると夏は涼しいです。美容院に行くのはカラーや気分を変えたいときに月1〜3回程度ですね。

昔は感動することがモチベーションで、綺麗な夕陽に感動を求めていたけど、今は同じ夕陽を見ても、こんな夕陽を見られて感謝だわあと、感謝の気持ちが湧いてきます。誰かにお茶をいれてもらったときも、気持ちの良い風を頰に感じるときも、そういう小さなことに日々感謝、幸せを感じています。変わってきましたよね。もうそれは抗えない。抗えないものには抗わず受け入れる。年取ったなあ、私らしくないですね。

40代のころの私

秋吉久美子 40代

40歳で短期留学したサンフランシスコで。ヘアスタイルはベリーショートで、ファッションもマニッシュ。これまでのリバウンドで、40代で本来の自分をやっと取り戻した感じです。

秋吉さんが40代に伝えたいこと

秋吉久美子 直筆メッセージ「どうにでもなれ!の40代 もう知らないもーんの70代」

一瞬みんなおバカになっちゃうのが40代。どうにでもなれの気持ちで堂々と生きてください。70代になると「年甲斐もなく」などといろんなこと言う人がいます。でも、年齢の意識なんて必要ない。もう知らないもーんで生きればいい。

《衣装》ワンピース¥198,000(jun ashida)ネックレス¥93,500バングル¥60,500リング(左手薬指)¥88,000リング(左手中指)¥211,750(すべてCASUCA)その他(スタイリスト私物)

本記事は、美ST編集部が取材・編集しました。「美ST」は16年以上にわたり、40代&50代女性の美容とライフスタイルを追求してきた月刊美容誌です。
『美ST』2026年9月号掲載
撮影/中川真人(magNese) ヘア・メイク/黒澤貴郎(LAULEA) スタイリスト/伊島れいか 取材/安田真里 編集/和田紀子

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