君島十和子さん・57歳「SNSがないバブル時代の情報収集法が役に立つ」

’86年12月~’91年2月と言われるバブル期に美容開眼した世代は今アラ還。アメリカンファーマシーで輸入コスメにときめき、デパコスの隆盛に驚いた、そんな、彼女たちの輝く今を支えるのは、それぞれのストイックな美容愛でした!今回は美容家・君島十和子さんにお話を伺いました。

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バブル世代の「現役感」の秘密はストイックな美容愛だった

バブル時代は女子大生モデルとして大活躍し、卒業と同時にJALのキャンペーンガールとして脚光を浴びた十和子さんは、まさに華やかな時代の象徴でした。そんな彼女が35年間向き合ってきた美容とは?

お話を伺ったのは…美容家・君島十和子さん(57歳)

SNSがなかったからこそ自分でトライ!養われたのは“自力追求力”

日本に一気に欧米コスメが参入し、新しい美容文化が次々と開花したバブル期からいろんなブランドやブームの栄枯盛衰をつぶさに見てきました。でも傍観ではなく、実際に一つ一つ私の顔で肌で試してきたからこそ、自分に本当に合うものにたどり着けた気がします。

その最適解とは「紫外線は徹底的にカット」「メイクを丁寧に落とす」「化粧水を自分の肌にたっぷり使って保湿」という3点です。バブルのころの私は20歳から24歳。色が黒いのがコンプレックスでお化粧には消極的でしたが、ソニプラやアメリカンファーマシーでしかお目にかかれない輸入コスメを買い始めました。それからランコム、サンローラン、DIOR、クラランスなどが次々百貨店に出店。驚き価格のラ・メールが新聞に出した全面広告には度肝を抜かれ、まさに黒船来航、衝撃的な洗礼だったことを今も鮮明に覚えています。

コスメの歴史をリアルタイムで見てきたからこそ、またSNSがない時代に必死でトライ&エラーしたからこそ、モノを見極める力が養われ、ストイックな追求力が身についたのかもしれません。今は韓国コスメブームもあり、街じゅうが美容のアミューズメントパーク。自分に合う美容は、砂漠の中から小さな星のかけらを探すような壮大な作業です。誰かの口コミを頼るのも便利ですが、美容の正解は自分の中にしかありません。コスメの洪水に溺れそうになるかもしれませんが、根気よく自分の最適解を探し続けた人だけが自分史上最高を更新し続けられるのではないでしょうか?

Q1.バブルな武勇伝を教えてください

実はバブルの恩恵なんてゼロだった私。仕事の帰り道、札束を振り回してタクシーを停めようとしている方々はよく目撃していました。

Q2.バブル時代に聴いたモチベアップ曲は?

スティクスの「ミスター・ロボット」渋谷駅で集合して“イタトマ”でカルボナーラを食べてたことを思い出します。

撮影/立木義浩

22歳、JJに出させていただいていたころ。色が黒いのがコンプレックスで肌には自信が持てませんでした。

撮影/立木義浩

JJ専属モデル3年目。ベビーオイルでクレンジングしていたころです。

23歳のころ、ベルサイユ宮殿にて。オフ時間に自転車で庭園めぐりを。

25歳のころ。TVの取材でルーマニアからウィーンへ。

《衣装クレジット》
トップス¥37,400(Sov./フィルム)ピアス(スタイリスト私物)

2024年『美ST』3月号掲載
撮影/岡本俊 ヘア・メイク/黒田啓蔵(Iris) スタイリスト/青木宏予 取材・文/柏崎恵理 編集/岡村宗勇

美ST