40歳を目前に、「このまま平坦な人生を送りたくない」と起業を決意|WAmazing代表取締役 加藤史子さん
女性としてこれからのキャリアに悩むSTORY世代。’22年に女性活躍推進法が改定されてからはますます女性の活躍が期待され始め、徐々に女性管理職比率も高くなってきています。第一線で活躍している女性リーダーの方々にお話を伺うと、そこには、キャリアの狭間で自身の生き方を見つめ、可能性を信じてチャレンジする姿がありました。今回ご登場いただくのは、WAmaging株式会社 代表取締役CEO加藤史子さん。年齢を重ねるごとに輝き続ける理由。それは、常に自らの“やりたいこと”を求め続けてきたから。そんな彼女のSTORYをご紹介します。(全2回の1回目)
加藤 史子さん(48歳)
WAmazing株式会社 代表取締役CEO
慶應SFC卒業後、リクルートにてインターネットでの新規事業立ち上げに携わった後、観光産業と地域活性のR&D 部門じゃらんリサーチセンターに異動。主席研究員として調査研究・事業開発に携わる。2016 年 7 月、訪日外国人旅行者による消費を地方にもいきわたらせ、地域の活性化に資するプラットフォ-ムを立ち上げるべく 2016年7 月、WAmazing株式会社を創業。2 年半以上に渡るコロナ禍期間中を乗り越え257名(2023年 10月1日時点)の組織で、日本のナンバーワン外貨獲得産業になりうるインバウンド市場で日本経済の再興・地方創生を実現するプラットフォームサービスを作るべく挑戦中。
大好きだけど離れる。決断の理由は「平坦な仕事人生では終わりたくない」という強い気持ち
STORY編集部(以下同)――大学卒業後、株式会社リクルートに入社されています。選ばれた理由や魅力に感じられた部分とは?
実は大学選びと同じような理由で会社も選んでいるんです。選択し、入学した大学は慶應義塾大学の環境情報学部で、まだできて間もない学部でした。将来何をやりたいか? なんてまだわからない中で、法学部? 経済学部? それとも文学部? なんて決められない。そんな中、見つけたのが「環境学部」でした。
――環境学部こそ、何かとてもスペシャルなことを勉強する学部のような印象を持ちますが……。
環境というのは私たち人間の周りにある、あらゆる状況のことを指します。 風土や気候、周辺地域、事情など。それらと人間を結びつけるのが情報ですよね。とにかく非常に幅広い! そこで、特定の学部に行きたいというのがまだ決まっていなかった私は、学ぶことが幅広そうだという理由から、この学部を選択したんです。
――リクルートへの就職という選択は大学選びと同じというお話でしたが、何をやりたいかをまだ決めきれていなかったからということでしょうか?
結局就職する段階になっても、これがやりたいというものを見つけることができませんでした。困ったなと……。そんな時は、自己分析や企業研究をしてみようなんて言われますが、企業には大学のように、わかりやすく偏差値みたいな尺もない。商社? 銀行? それともマスコミ? どの業界で働きたいかすらわからない状況の中、リクルートに行き着いたんです。リクルートは変な会社で(笑)、当時、業界分類ごとに会社を検索すると、広告業界には電通・博報堂があって、最後の方にリクルートが載っているんです。出版業界の最後の方にもリクルートは載っています。情報通信業界にはDocomoやKDDIが前の方に掲載されているんですが、やはり最後の方にリクルートが載っている。一体この会社はなんなんだ? って(笑)。大学を選んだ時と同じように、まだ何をやりたいかわからない状況の中、一体何をやっているのかわからないという会社を選択したんです。でも、結果としてリクルートを選んで本当に良かったと思っています。
――リクルートを選んで良かったと思われる理由とは?
入社して感じたのは、本人のやる気を優先してくれる会社だということ。そこに年齢、年次、経験や役職はあまり関係ないんですよね。日本企業というと、年齢が上の方達の人数が多いので、あっという間にベンチ暖めて20年みたいになってしまうことも。でも、リクルートは名刺交換と電話の取り方を教えていただいた翌日、入社2日目からOJT(On-the-Job Trainig)みたいな。え? まだ何も教えてもらってない……って思いましたけど(笑)。とにかく打席に立たせてくれて、いいからバットを振ってごらんという会社なんです。こういう会社の風土が私の性格的にとても合っていました。
――入社した直後から業務を通して多くの経験をリクルートで積まれ、プライベートでもご結婚とご出産も経験されていらっしゃいますよね。
2007年に第一子、2010年に第二子を出産しました。2008年がリーマン・ショックだったと思うんですけれど、その中でもリクルートはずっと景気が良かったんです。景気がいいと人手不足になりがちじゃないですか。なので、会社としては、ガツガツ働いている女子に辞められては困るという風に経営陣が思ったんでしょうね、おそらく。ちょうど2007年から2008年の間に、銀座からグラン東京サウスタワー(東京駅)に戻ったんです。以前よりも大きなオフィスに移転し、そのタイミングで社内保育園、社内保育所が設置されたんです。それ以前は子どもを育てながら働けるような職場では全くなかったんですけれども、私が出産した時期の前後から風向きがちょうど変わってきたんです。
――仕事と家庭を両立するための環境も整備され、何より会社の風土も加藤さんに合っていた。それでも、独立し、起業しようと思われたのはなぜなのでしょうか?
31歳で第一子、第二子は34歳で出産し、リクルートを退職したのは40歳の時でした。やはり、子どもが小さいうちは、時間も自由にならず、起業して他人の人生を背負うような責任も持てない。退職直前は課長職としての業務量は多く、忙しいけれど、「寄らば大樹の陰」で、結局はリクルートの単なる一社員。起業して色々なものを背負って立つという立場に比べたら責任はたかが知れています。ただ、若い人に仕事をどんどん任せてくれる会社だったこともあって、私自身、入社してからベンチを温めることなく打席に立ち続け、かなり濃密な時間を過ごしてきました。だから、東大卒メガバンク総合職の男性が、恐らく58歳くらいで考えることを、この会社では多分20年早く考えるようになるんですよね。
――子育てが少し落ち着き、これからの自分の人生というものを考える余裕ができる頃でもあったのでしょうか?
それもあると思います。会社には全く不満はなく、優秀な部下と理解ある上司と共に、やりがいのある仕事に携わり十分な収入をいただいていた。ただ、40歳を目前に、下手したら定年まで平坦な仕事人生が続くのか……定年までいるつもりはないけれど、それでも、そんな状態を想像したら、自分には耐えられそうにないと思ったんです。もちろん子どもたちは成長と共に自分の世界を持ち、自分の手からは離れていく。やっぱり、もう一度仕事に対するギアを入れ直すべきだ! そう感じたんです。
40歳。ギアを入れ直した加藤さんの目の前に現れたもの。それは起業家としての新たなスタートラインでした。
(後編に続く)
撮影/BOCO 取材/上原亜希子
おすすめ記事はこちら
▶uka代表・渡邉季穂さんを成長させ、癒してくれる人やアイテムとは