俳優・中村ゆりさん 「母を助けたい」という一心でアイドルへ。違和感を乗り越え、人生を変えた深夜のファミレスでの”一言”

画面の中や舞台に現れると、その場を澄んだ空気で満たしてしまう俳優・中村ゆりさん。儚げな美しさと凛とした強さを併せ持ち、確かな演技力と唯一無二の存在感で作品を彩ってきました。そんな中村さんに、これまでの俳優としての歩みや40代を迎えてからの心境の変化、そして暮らしの中で大切にしていることまで、ご自身の“今”を等身大の言葉で語っていただきました。

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母を助けたい一心で、テレビ番組のオーディションへ

デビューのきっかけは、中学2年生のときに受けたテレビ番組『ASAYAN』の公開オーディション。物心がつく前に両親が離婚していたので、一緒に暮らしていた母を助けたいという思いが強かったんです。「どうしたらお金を稼げるんだろう」と小学生ながらにずっと考えていて、できるだけ早く仕事を始めたいと思っていました。

そんなとき、当時大人気だった『ASAYAN』のオーディションが大阪で開催されることを知り、母には内緒で履歴書を握りしめて会場へ向かいました。最寄りの駅に着くと、会場まで気が遠くなるほどの長蛇の列。なんとか辿り着き、面接を受けたり歌を歌ったりと、まさに1日がかりのオーディションでしたね。そこで当時の審査員の一人が目を留めてくださり、幸運にもスタジオ審査へ。最終選考まで進み、無事に合格することができました。

アイドルとしてデビューするも、心の中で膨らんだ”違和感”

そこからは、トントン拍子に話が進み、中学卒業と同時に上京しました。たまたま芸能界を目指していた親友を紹介したところ、彼女とユニットを組んでアイドルとして活動することに。こう聞くと、まさにシンデレラストーリーですよね(笑)。当時は若さもあり、気合と覚悟だけは十分にありました。ただ、自分が何をしたいのかははっきりしないまま、気づけばデビューしていたという感覚で……。いざ飛び込んでみたら、思い描いていた方向性とは少し違っていたんです。

それでも、「頑張った先には、きっと得られるものがあるはず」と信じて、目の前の仕事にがむしゃらに向き合いました。バラエティや歌番組、ライブに地方営業、学園祭の出演など、怒涛のスケジュールに追われる毎日。でも心のどこかで、空虚感のようなものを抱えていて。根性でなんとか乗り切ってはいたものの、「人生とはそういうものだ」と達観視していた部分もあったような気がします。

そのうち、まだ10代で未熟だったこともあり、次第に二人とも心が追いつかなくなっていきました。結成から3年、18歳のときにユニットは解散。ずっと”アイドル”という肩書きに違和感を感じていたので、解散したときはむしろほっとしたのを覚えています。そして一度、きっぱりと芸能活動を離れて休もうと決めました。

ニューヨークで出会った、演劇という新しい世界

ユニット解散後、「何かを変えたい」という思いに駆られ、単身ニューヨークに向かいました。現地では演劇のレッスンを受けたり、本場ブロードウェイでミュージカルを何十本と観劇。そこで初めて「演劇ってこんなに面白いんだ」と衝撃を受けたんです。

デビューから解散までは、自分が何をしたいのかわからないまま走り続けていました。でも、さまざまな国籍や価値観の人たちと出会い、日本では当たり前だと思っていたことが当たり前ではない世界に触れて、視野が一気に広がった。価値観がフラットになったからか、それまでにはなかったお芝居への興味も自然と湧き上がってきました。

友人の何気ない一言が、俳優人生の扉を開くきっかけに

アイドル時代に確固たる信念を持てなかった分、活動を休止している間に、自分が本当に納得できる何かを見つけたいと思っていました。帰国後は高円寺の飲食店で人生初のアルバイトをしながら、演劇や映画、アート作品などに触れ、インプットを重ねる日々。そんなときに出会ったのが、シアタープロジェクト・東京(TPT)という演劇カンパニーでした。

海外戯曲や現代劇を上演するその舞台は、それまで私が知っていたエンターテイメントとは一線を画するもの。文学や社会性、アートの要素が複雑に絡み合い、エッジの効いた役者さんたちのお芝居にも圧倒されて。観れば観るほど演劇の世界に惹かれ、夢中になっていきました。

ただ、その頃はまだ”好きなものを観ている”という感覚で、俳優という職業とは結びついていませんでした。当時、仲良くしていた同世代の映画プロデューサーの友人がいて、何かと顔を合わせては将来について語り合っていたんです。お互いまだ駆け出しで、お金もない頃でした。ある日、いつものように深夜のファミレスで他愛もない話をしていたときのこと。ふと彼女に「そんなに演劇が好きなら、俳優をやればいいじゃん」と言われて。その何気ない一言から、私の俳優人生がスタートしました。

中村ゆりさん profile

1982年生まれ、大阪府出身。1996年にアイドルとしてデビューし、2003年より俳優としての活動を開始。2007年、映画『パッチギ!LOVE&PEACE』のヒロインに抜擢され、全国映連賞女優賞を受賞。以降、映画やドラマ、舞台、ナレーションなど、幅広い分野で活躍中。2025年第45回ポルト国際映画祭ディレクターズウィークベスト女優賞を受賞。現在は、映画・特別先行版「鬼平犯科帳 本所の銕/密告」 に出演中。

衣装協力:ワンピース¥55,000(ハイク/ボウルズ)ピアス¥46,200・ネックレス¥52,800(リューク)リング(右・人差し指)¥28,050・リング(左・小指)¥28,050(プリュイ/プリュイ トウキョウ)リング(左・人差し指)¥94,600(プライマル)レーストップス(スタイリスト私物)

<SHOP LIST>
ボウルズ 03-3719-1239
プライマル support@prmal.com
プリュイ トウキョウ 03-6450-5777
リューク info@rieuk.com

撮影/遠藤優貴 ヘアメーク/AYA(TRIVAL) スタイリスト/辻村真里 取材・文/渡部夕子 構成/福吉由紀子

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